服のコトナド(仮)

服を中心に書いてます。

【Fashion】これからの服の話

おはこんばんちは。
ファッションはお好きですか?(晴子さん)

 

2017年はメゾンブランドの頂点ルイヴィトンと、ストリートブランドの頂点Supremeがコラボをした事で大変話題になりました。本来なら交わるはずのないこの両雄がコラボをしたことはこれからの服の歴史を占うという意味で、ファッション歴史に一つの節目をつけたすごい年だったようで。

 

今更ですが、そんな2017年の秋頃に発刊された【BRUTUS 10月号 - 場所、人、服 - 】。これに付録されていたbook in bookが本誌のBRUTUS以上に面白い対談が繰り広げていたので一部を紹介しつつレビューをしてみたいと思います。

 

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▼本誌をレビューした記事はこちら。

 

 

 ●「自分らしくあるために」

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粟野宏文:ユナイテッドアローズのクリエイティブディレクション担当上級顧問。
千葉雅也:日本の哲学者。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッション等の批評をする。


● 自己表現としての服の価値の破綻

(中略)

千葉「そうですね。少し前の話から始めたいのですが、1966〜70年代は社会が要求する『こういう服でなくてはいけない』や『こういう立ち居振る舞いでなければいけない』といった規範が強くありました。

それに反抗するカウンターカルチャーが生まれ、そしてファッションという物は、自分のあり方を規範からずらすための大きな武器だった訳です。

しかし、資本主義の発展は、規範に対する抵抗のスタイルをもどんどん取り込み、商品化していった。そして気づいたら、今日では、あらゆるものが不安定に変化し続ける流動化社会になってしまい、ファッションのずれを遊ぶことに、抵抗的な意味はほとんどなくなってしまいました。

オシャレは、グローバル資本主義の流動化状況において不安定に生きる事と、単純に同じになってしまった。『私が私であるために服を着る』ことは破綻し、ファッションで自分の居場所を作るという事がもはや成り立たない、という感じがあります。

粟野「そこから逃れたいと一部の人が思い、生まれたものがノームコアという考え方だったと思います。」

ファッションの歴史を振り返ると、いわゆるモッズやスキンズ、ヒッピーなどのファッションには必ず思想が含まれています。現代のファッション界は消費を促すためトレンドを作り出し、そういった思想や主義がなくても誰もが自由に着ることができる風潮を作り上げたという事でしょうか。

自由になったのに、中身がなくなったファッションが世間にはあふれている事に危惧をしているお二人。でもそういう風潮をつくったのはファッション業界ですし。資本主義が文化を殺したって事ですね。

 

● 最高のファッションは筋肉?

千葉「ところで、 僕の研究では、“変身”や“アイデンティティ” “差異”が大きなテーマとしてあります。その中で、どのようにして人間が脱人間化するのかをプラスとマイナスの両面で考えているのですが、
僕は最近、“ポスト服”ということに興味があります。服以後、です。

しかし、裸になっちゃうわけではなく(笑)。例えばそれは、最近の筋トレブームに象徴されていると思うんですね。服による差別化が、過激化した資本主義の状況ではもはや機能しなくなって、身体ソレ自体の変容、変異が問題になってくる。

粟野「洋服を着替える事にエキサイトしなくなる時代に、“肉体を着替える”みたいな感じでしょうか。ライザップはカラダを着替えるイメージですね。」

なるほどおもしろいっす。もはや服では、他人との差別化ができなくなった。それは極端に言えばお金があれば、目立てる服を買えるし誰でもそれっぽくなれる。そうなると服ではなく身体自体を目立たせようとするって流れが来ていると。

確かに筋トレってライザップでもわかるように、お金払ったら服を着替えるようにすぐに変化するわけでないですよね。毎日の食事管理と筋トレなどの、努力を積み上げないと手に入らない希少な服だと思います。しかも、筋肉が落ちないように続けていかないと行けないので手に入れてもメンテナンスが必要で、それはレアな服を手に入れるより大変かもしれません。引き締まったぶっとい腕には白の無地Tシャツが最高に似合います。

 

 

 ●「なぜファッション界がスケーターに憧れたのか?」

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野村訓市:さまざまな媒体で編集、執筆を行いながら、ブランディングや広告も手がける。
土井 健:原宿キラー通りのセレクトショップPROPS STOREのディレクター。

 

● NY代表として世界に発信するSupreme

(中略)

土井「僕がストリートファッションの何が好きかというと、サポートする文化背景がある所が好きなんですね。」

土井「サポートって言うところで言うと、シュプリームはその概念を体現していると思うんです。マーサ・クーパーやラメルジーのようなローカルヒーローと手を組んでアイテムを作ったり、グラフィティライターがトレインヤードに忍び込むときに使うボルトカッターを作ったりする事で、地元のカルチャーをフックアップして世界に示すやり方をしています。

最近はルイ・ヴィトンとコラボレーションして、アレ?と思っている方々がたくさんいると思いますが、あの事例もシュプリームはルイ・ヴィトン=メゾンブランドではなく、

ルイ・ヴィトン=パリという地域を汲み取り、世界にニューヨークらしさを発信したと考えています。ポストシュプリームが出てこないのは、自分たちの地元すらきっちりレペゼンできてないからだと思うんです。

野村「多分小さいところでは、そういったサポートしているブランドやお店はあるだろうけど、シュプリームみたいな規模でやっているブランドはないね。」 

なるほど。確かに、ボルトカッターに限らず「なんでこんなの作るの?」ってアイテムをSupremeは結構リリースしてるけど合点がいった。SupremeがNYのストリートカルチャーを代表していて、NYを代表して文化を発信している事を知ってて買っている人たちはどれだけいるのだろうか。

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2016 S/S Bolt Cutters

 

● ファッションは自己満

野村「ファッションって憧れと自己満が根っこにあるのはどの時代も変わらないと思うんだよね。今流行りの服を着ているからとか、モードな服を着ているからって自分のレベルが人間的に上がるとか、世の中から認められる事って言うのは絶対ないと思うわけ。結局自己満なんだよ。自分がソレを着てて嬉しいとか、そういう事でしかない。

オレがビーサンからジョンロブに履き替えたところで社会的な地位が上がるのかっていったら多分上がらないだろうしね。」

野村「だから、スケーターファッションってあくまでスケートをやっている人たちの装いのことで、別にスケーターでもなんでもない人たちが着ていても、それはスケーターファッションではないんだよ。

中にはトレンドセッターみたいに呼ばれるスケーターはいるけど、なんで人気があるのかっていったら、スケートがうまいからなんだよね。だから真似したくなるんだよ。」

ズキュウウウン!
さすが野村訓市!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ(以下略)

つまりこういうことなんだろうなぁ。服で世界を救ったり、変えたり、世のため人のためになる訳ではない。あくまでも自己満。服が救うのは、その服を着る個人だけ。極論ですが真理だなと思います。

しかし、自分を満たすためのツールとしての服が氾濫した結果。ファッションが背景や文化を持つ意味がなくなった。良い事なのか、悪い事なのか。

そしてスケーターファッションという型がある訳ではなく、スケートをしている人が着ている服装がスケーターファッションという事ですね。「これを着ればスケーターファッションを体現できるよ」と、キッズ達に語りかける薄っぺらいファッション業界にミドルフィンガーを突き立てる野村訓市。かっこ良いです。

この人ほどSupremeクルーに密着して、その文化や習慣を見て来た日本人はいないのではないでしょうか。説得力がダンチで違います。

 

こういう服の話をする特集をもっと作ってほしいですね。ファッションの裏に根付くカルチャーが消えてしまわないようにね。まる。